高校を卒業して地味な会社員として事務をして居たのですが、一人暮らしの生活に潤いが欲しいと思い夜の数時間だけ水商売で働きました。
カウンター越しでお客様と話すだけの仕事はかなり楽な仕事で、時給は2千円でしたので月に10万円以上稼げたので本当に楽しく暮らす事が出来ました。
金銭の面では本当に余裕があってブランド物でも我慢する事なく買う事が出来ましたし、かなりのお客様から高価なプレゼントを貰う事がありモテモテの時期を過ごして居ました。
プライベートも充実して羽振りの良い彼氏も居たので20代の前半は青春を満喫しているような状態でした。
会社員で地味に働いて居る事もだんだんバカバカしいと感じるようになり、派手にお金が稼げる水商売に転職し谷中を通して働くようになって行きました。
30歳までには独立して小さな自分のお店でも持てれば成功できると自負していた矢先に、ある程度貯金も貯まったので一から水商売を始める事にしました。
何から何まで全てが初めての事だらけでしたが、勤めて居たお客さんが色々指南してくれた事もあり都心から少し離れた所に小さなカウンターバーのママに落ち着く事になりました。
以前働いて居たお店の常連の方も開店に駆けつけてくれる程に盛大な開店祝いをして貰い、順調な滑り出しをしました。
駅前でしたので少しずつ新しいお客様も通ってくれるようになり10人も入れば満席になってしまうカウンターには連日お客様が並んで座ってくれている状態でした。
私自身も30才手前でしたので女としても魅力もまだまだあった頃でしたので、男性客の中でも私目当てで毎日通ってくれるお客様も沢山居ましたし、落としてくれるお金も半端な額ではありませんでした。
使う時間が無い程に繁昌して居て独立して本当に良かったと思いました。
その頃結婚の話もあったのですが、結婚してしまう事で私の人気が落ちてしまうような気がして、独身を貫いて商売に徹しようと覚悟を決めました。
以前に努めて居た所からお客様を奪うような形になってしまった事もあり、多少の嫌がらせはありましたが成功した証だと言うお客様も多く、皆様に可愛がってもらって順調に商売は行って居ました。
私自身も中古マンションを購入出来る程のお金も出来たので、お店の近くに新居を構え本格的に商売に没頭して行きました。
従業員の女の子も数人雇うようになり二店舗目を開業しようと考えて居ました。
従業員の女の子たちは私自身が面接し容姿に厳しい審査を入れて可愛い子だけを雇い入れたのですが、かなり我儘な子も多く洋服代やら食事代の他にも住まいを提供して欲しいと言う要望もありましたので、全て揃えて上げるようにしたりもしました。
中には母子家庭の女性で夜中に子供を見てくれる保育所が無いと言うので、料金はかなり掛かるのですが人気のある女の子でしたので、優遇して保育所代などを援助したりもして居ました。
人件費がかなり嵩む事が悩みの種でしたが、これも必要経費と思い我慢して出費して居ました。
しかしこれが後にかなりの負担になると言う事を全くその時は考えて居なかったのです。
二件目は水商売が終わった女の子たちが食事を出来る様な定食屋の様な飲み屋を開店し、常連客の方が一件目で飲んで流れで食事が出来るようにしたのでどちらからも収益があるので、かなりの儲けが出るようになっていました。
このままの経営がずっと続くと思って居たのですが、ある日を境にどんどん客足が遠のくようになったのです。
近場に同じようなカウンター式の飲み屋が出来てしまい、かなりのやり手のママが経営して居る事もあり地元の方はそのお店に流れるようになってしまったのがきっかけでした。
私のお店よりかなりの低料金で経営して居て、外国人の従業員は甘え上手な女性を取り揃えて居ましたので太刀打ちできませんでした。
数か月で閑古鳥が鳴くようなお店になってしまい二店舗目は全くお客が入らない状態でした。
私は直ぐに資金繰りに困り預金を赤字に充てるようになって行きました。
客足は中々戻らずどんどんお客様が離れて行ってしまうのを肌で感じるようになり、焦って資金に行き詰ってとうとうキャッシングに手を出すようになりました。
勿論経営者は私でしたし銀行からの借入も考えましたが、当座のお金がまずは欲しいので、手軽に借入出来るキャッシングに手を出したのです。
審査はかなり甘い事もありますし利息は少し多めですが、また盛り返したら支払いを気にする事は無いと考えて居たのです。
銀行のキャッシングは数社から借り入れが出来ますし、ネットからでも簡単に借入出来るので本当に助かりましたが、返済がかなり厳しい状況に陥って居ます。
二店舗目は早めに閉店させて今のお店をしっかり守って行こうと思いますが、来月は給与面での捻出が困難になりそうなので女の子の数人を解雇させなければなりません。
最終的には経営は私のみで細々とやって行こうと考えて居る所です。